2019年5月2日木曜日

平和教育の必要性

私の政策にあります「平和教育の実施と定着」について。

「平和は当たり前ではない。平和はつくるもの」

この思いは、ずっと私の中にあります。

4人の子育てをしてきて、まだ義務教育の息子が2人おりますが、
小中学校の義務教育において、子どもたちが学校で平和について学ぶ機会を持っていると実感したことが、ほとんど有りません。

教師は文部省学習指導要領の内容に取り組むだけで、それだけで大変な内容量だと思います。子どものための授業準備が十分にできない程、多方面への書類提出に追われるという話も聞いています。

教員増員、書類提出などの削減を検討して進めるべきだと思います。

国語の授業や道徳や社会、理科、語学、どの教科においても、平和教育につながる教材はあります。ちょっとしたエピソード的な話でも平和について提示できることがあると思います。課外授業や校外見学で取り組むことも可能なのではないかと思います。

そのちょっとしたこと、その積み重ねが、平和をつくる意識の種まきになります。

刈谷市では、平和を願っている市民や、共産党の議員たちが、原爆パネルの展示の実施をも求めて、何年も行政に働きかけてきたことで、数年前から、終戦記念日のある8月になると、市役所で展示がされるようになりました。

残酷な写真もあります。それでも、それが戦争というものなのでしょう。
そして、このパネル展においては、原爆という核兵器の恐ろしさを伝えてくれています。

わたしたちは、戦争を知りません。概念でしか分かりません。
概念でしか分からないとなると、国を守るためには、自衛隊が、誰かが、戦争に行って、私たちを守ってもらわないと平和で暮らせないから仕方ない、なんていう考えも簡単に出てきてしまいます。

平和とはいったい何でしょうか?
自分たちの命が守られれば、誰かが犠牲になって良いのでしょうか?
自衛隊員だから、良いのでしょうか?

戦争の実態を知らずして、または思いを馳せずして、平和を机上のものにして、他人事にして、自分事のためだけに、考えてはいけないと思います。

戦争は、最大の人権侵害と環境破壊です。
罪もない人々が真っ先に、そして子どもたちの未来を奪います。

幼い頃から家庭でもそのような機会があれば良いですが、対話の場がある学校教育のおいて、平和について学ぶ機会を持つこと、話し合っておくことは、対話力を身に付け、平和をつくる力を身に付けます。

教師が戦争を知らない、関心も低い、なぜなら教師たちがそういった教育を受けて来なかったからです。

複雑で緊張の走る国際社会において、戦争のない平和な暮らしを守り続けていくためには、行政と市民が、今の子どもたちが戦争のことを知り学ぶ機会を持つことができるように、思索し、実践していく必要性があります。