今日は、国際支援に学生のころから取り組んできた仲間が投稿します。
【以下、投稿文】
なぜ「平和教育」が必要なのか?
【以下、投稿文】
なぜ「平和教育」が必要なのか?
「平和」っていうのが、 当たり前になってしまっている今の日本では、「平和」 についてわざわざ考えるなんておかしくない? という声も多いと思います。 今の状況がずっと続けばそれはそれにこしたことはありませんが、 いつどう変わるか?誰もわかりません。
もうこの前の戦争について、 実体験として語れる人のほうがずっと少なくなっている現状で、 戦争に行くことが、イメージとして、カッコいいとか、 お国のためになるとか、そう思っている人も多くいると思います。
縁あって支援していたある国で内戦が起き、 その最中に訪れたことがあります。
協力していただいていた教会付近に近づくと、 あたり一辺焼け野原となっていて、 近くに難民キャンプもできていました。 着の身着のままにそこで生活している人もいて、 生活状況は全く良くない感じでした。
そして、たまたま、 他のプロジェクト地へ行き、帰り道、道中の交差点付近、 とても危ない雰囲気が醸し出されていて、 私たちのクルマは道のふちに止まり、じっと様子を伺い見ました。
敵対する陣営同士でつばぜり合いが起き、 とうとう投石騒ぎとなりました。たまたま、 治安に入っていた他の国の警察が止めに入ったので収まりましたが 、争いの恐ろしさを感じました・・・
国と国との戦争はもっと大きなものですし、 多くの人も負傷し死にます。その残酷さ、そして、 戦争している間は、学べる時間もなくなってしまい、 特に子どもへの影響がひどく、後世へも続く、つまり「 失われた世代」となるそうなのです。
戦後の日本も、 実はうまくいったようで、 家庭内での後遺症は続かざるをえませんでした。 戦場で受けた精神的な疾患、父と子や夫婦関係、 家庭なき子の発生等です・・・
そして、たまたま、
戦後の日本も、
「平和」は他人事でなく、実はお隣の家庭問題にもつながり、 そして、 もっとも子どもに影響が出るものだと理解していただけるとよいか なと思っています。
言い争ってもいいが、戦にはしない方法。 子どものみならず、大人も学びを深める課題だと考えます。
言い争ってもいいが、戦にはしない方法。
伊藤 幸慶